*本インタビューは2021年3月3日に実施しました。
■震災の記憶を語るということ
舞:でも、私自身は人が流されるところなどを見ていないので、最近まで私みたいな「被災者」が話していいのかな、という意識はずっとありました。テレビが好んでとり上げる事例のように劇的なものはないので。私なんかが、と思いながら声を上げることはありませんでした。
花:その、話をしてみようという心境の変化はどこから来たのですか。
舞:大学で花田先生と出会って話し始めたということもありますし、奨学金をもらっているロータリークラブ等で語り部をする機会もありました。ああそうだ、また今後別のロータリークラブでもお話ししなきゃいけなくて・・・
花:舞さんに順番が回ってきた感じですね(笑)
舞:震災遺児の自助グループでお話しする機会もあったのですが、ちょっと苦手で、当事者が集まるといった風にあまりに場が用意されてしまうと、どこか演じてしまうのじゃないかなと思っていて。
花:型にハマった言い方をしてしまうということ?
舞:自分のなかに、脚色せずに、ありのままの事実だけを述べたいという気持ちがあります。ですから、そういう場に適していないことも正直に言いたくなってしまうのですが、言える雰囲気ではないので、苦手です。その点で、こういう話は、近い人よりは、第三者の方が言いやすいですね。亡くなった両親にだって、私がどういう感情を抱いているか、それは誰にもわからないはずなのに、少しでも喪失をポジティブに捉えようとすると、周りの人間はそんなことは言うものではないと押さえ込む感じがあります。正直に言ってしまうと、わたしは今が一番しあわせなので・・・
花:今の話をまとめると、外から見ると、当事者同士は痛みを分かち合ったからこそ理解しあえるというある意味で美化されたイメージがあるが、それに対して内側にいる舞さんは白々しく感じてしまう、というか、その美化された自助グループのイメージに当てはまらない人や意見は排除されてしまう傾向がある、ということかな。
舞:一人ひとりの人は皆好きなのですが、場の空気で言いたくないことも言ってしまいそうになると、どうも違和感を感じます。現実には、お金のこと、つまり支援金のことなどで、もめた家族もたくさん知っています。子供同士の会話でも、あそこは家が残ったね、あそこは家族が亡くなったね、という風にギスギスしたものがありました。個人的な感じ方かもしれませんが、そういうふうに話しながら、クラスや学年の中でも距離感が生まれていったような気がします。
花:その辺は、もしかしたら、大人たちが話しているのを聞いた子供たちが、その語り口や人間関係を真似ていたのかもしれませんね。
舞:たぶんそうだと思います。
■今が一番しあわせ・・・
花:舞さん自身の感じ方として、震災後の人間関係で傷が深まったという印象があるのですか。
舞:そうなんですかね、まあ、基本、やっぱり独りだったので。なんて言ったらいいんだろう、やっぱり、信用できる人はあんまりいなかったですね。人間不信・・・
花:信じても、裏切られたらその分傷つくから・・・
舞:うーん、信じられない、というよりかは、話せない・・・
花:その「話せない」というのは、話しても受け止めてくれないだろうという感じ、それとも辛すぎてそもそも話せないという感じ・・・
舞:うーん、話して、相手がどういう反応をするか、おそらく怖かったのではないかと思います。皆が集まって話しているのに巻き込まれるくらいなら、独りの方が楽かなあ、と。その場にいない人[*震災で亡くなった人]のことについて話すのをあまり聞きたくありませんでした。当時のことはあまり思い出せません。震災後一日たったときのことは思い出せるのですが。地震があって、自宅に帰って、寝て、起きて学校に行きました。避難所に友達が二人いたので、遊ぼうと思って。
花:地震から次の日に、避難所になっている学校に遊びに行ったの!?
舞:家にいても誰も遊んでくれないし。
花:どんな遊びをするの、そういう時って?
舞:普通に追いかけっこしてきました(笑)。自衛隊の人からおにぎりをもらったり。当時自宅は無事だったのですが、水道も電気もダメで、ガスだけは使える状態でした。その後は・・・本当に覚えていないですね。うーん。
花:時系列が前後する感じですか。
舞:そうですね。じつは、家庭環境がよくなくて、震災前から寂しさを感じていて、便利なので震災前後といった言い方はするのですが、私のなかでは、震災があったから寂しいというわけではありません。
花:そういった個々の人生のリアルな部分というは、震災関係の記事なんかではあまり出てきませんね。人間なので、震災があってもなくても、寂しい経験もするし、困難にもがくこともある、そういう部分はマスメディアが作りだす「被災者」イメージのもとでは削ぎ落とされてしまうかもしれませんね。「震災」に、個人の人生のすべてが吸収されてしまう感じ。
舞:「震災」は自分の人生において決して小さいことではありませんでしたが、すべてでもありません。先程のように、父も母も亡くなりましたが、今が一番しあわせです、と言い切ってしまうと、みんな一斉に「おかしい」と言うのです・・・
■リフレクティング:舞さんの気持ちの大切さ
花:ここで、半田さんと少しだけリフレクティングさせてください。私たちの話を聞いた上でまた舞さんに感想を聞きますね。
舞:はい、大丈夫です。
花:半田さん、これまで舞さんのお話を聞いてきて、何を感じましたか。とくに印象に残った部分などありましたらどうぞ。
半田[以下半]:すごく印象に残っているのが、舞さんがご両親を亡くされて、今が一番しあわせだと仰った部分です。舞さんのお話から想像すると、かまってくれない親から離れることができてほっとしている、そういう気持ちはある、あって自然かなと感じました。こういうこと言うとダメかなと何度も仰っていましたが、その度に、ダメじゃないよ、言ってもいいよ、それは舞さんの気持ちだから大切にした方がいいよと、心のなかで叫んでいました。
花:私も、当時少女だった舞さんが長い時間をかけてやっと言葉にできた気持ちにたいしいて、「不謹慎」だとか、「おかしい」と言うのであれば、一体どちらが「不謹慎」なのだろうかと。支援や絆と言いながら、その根拠に被災者=か弱き被害者というイメージしか見ようとしないのであれば、そんな「支援」は一方的です。自戒を込めていうのですが、「被災者」である前に私たちは「人間」であり、その人間の経験の多様性という根源的な現実から目を背けているような気もしました。支援する側、される側、といった風にすごく分かりやすい図式にして安心していたような・・・
半:そうですよね。震災の前後と分けてしまいますけれど、実際は、それぞれの親との関係性や、家族の歴史があるわけですよね。でも、取材する方としては、震災前はしあわせだった人々が震災後は・・・といった物語にもって行きたくなるんでしょう。
花:じつは、このメディアのとりあげ方と、今日言われている「記憶の風化」の問題は根っこでつながっているような気がしますね。一方で過剰で歪みをもったメディアのとりあげ方と他方でとりあげられなくなった途端に忘れられてしまうという現象の向こう側には、それでも生活し続けなければならない生身の人間がいるわけですよね。毎年3.11に震災関係の報道が加熱しますが、3年たち、5年たち、10年たち、結果、生身の人間だけが置いてかれてしまうのは・・・なんだろう、反省点しか思い浮かびません。現在は新型コロナ報道のあおりで、震災10年という節目がなんとなくうやむやになっている気がします。個人的には、神戸の震災では、10年でなんとなく区切りがついたなあという感覚が多少なりともあったのですが、この東日本大震災の10年目というのはそういう気持ちにはなれないですね。まだ・・・
半:神戸の時には、ボランティアに行ったのですが、現地の焼け跡で匂いも嗅いできたのですが、復興した後に神戸を訪れた時、同じ場所とは思えないくらいにきれいになっていて驚きました。神戸の駅なんかもあんなに。東北も、仮設住宅へお話を伺いに行ったことはあるのですが、テレビで最近の様子を見てもまだ同じ気持ちにはなれないですね。
花:どこかでかけ違いが起こってしまって、それが未解決のまま、コロナ禍でうやむやになってしまった感じですね。半田さんありがとうございました。
■できるなら、10歳の「私」をハグしたい
花:舞さん、二人でお話ししてしまってすみません。二人のやりとりを聞きながら、思い出したことや感じたことはありますか。
舞:半田さんが、私の「今がしあわせ」という気持ちは大事にした方がいいと仰っているのを聞いて、驚きました。感じてもいいんだと思って。そんなことを言ってくれる人は周りになかなかいなかったから。あと、復興は進んでいない、というお話だったと思いますが、率直に、「復興」ってなんだろうなと思いました。元に戻れはしないので。どうしたらいいのか、私にはわからないです。でも自分が震災前に戻りたいかと聞かれても、戻りたいとは思わないです。
花:その「戻れないし、戻りたいとも思えない」という裏には、震災後の10年間という時間が舞さんにあるのだと思います。それを引き受けてだと思いますし、未来とか進路とかいう言葉だとズレるのですが、これから大学三年生で、今ここから先の話に関して、舞さんはどういった気持ちを抱いていますか。
舞:成るように成るとしか言えないですね(笑)。もうちょっとがんばれよと我ながら思うのですが、私、頑張らないんで。わからないんですけれど、就職活動はしたくないなあと(笑)。
花:お金を稼ぐことに関しては?
舞:生きられる程度には働きたいです。私は親がいないので、将来介護などの心配はしなくともいいので。・・・あと大学院に進みたいです。
花+半:ええ!?
半:何を学びたいの。
舞:一応教員の免許だけとっておこうかなと。
花:舞さんみたいな正直な先生に巡り会えたら生徒はしあわせです。もっとお話ししたいのですが、舞さんもお疲れだと思いますのでここで止めておきましょう。最後にお聞きしたいのは(もしかしたら舞さんが嫌いな質問かもしれませんが)、震災当時10歳の少女であったわけだけれど、それから10年を経て、今の舞さんが、当時の「私」に言葉をかけられるとしたらどんな言葉をかけたいですか。
舞:当時は寂しかったので、小さいころの自分に会えたら、パッと思いついたのは、ハグしてあげたいかな。言葉でなくて、それだけですね。本当に、寂しかったんで。
花:今日はお気持ちをお話ししてくれてありがとうございました。これからも時々、お話を聞かせてくださいね。
舞:はい。
■ふりかえりを終えて
花田:舞さんをインタビューしながらふと、映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(アナンド・タッカー監督、1998年)のワンシーンを思い出した。だいぶ昔に観たので記憶が定かではないが、映画の冒頭、天才チェリストでありながら壮絶な生涯を送り若くして亡くなる成人のジャッキーが、浜辺で遊んでいる少女のジャッキーと時空を超えて出会い、耳元で「Don’t worry(心配しないで)」とささやくのだ。当然少女であるジャッキーはなんのことやらわからないが、その女性のことがなぜか気になる・・・確かこんな始まりだったと思う。おそらく震災前の舞さんも地元の浜で遊んでいるときに、大学生の舞さんに抱きしめられていたかもしれない。「これからあなたには、いろいろなことがある。でも心配しないで。」少女の舞さんはそれを思い出すことはないが、そのハグは少女を守り続けていく、そんな夢想を抱きたくなるようなお話しを聴くことができた。
半田:「海は怖いけど好きですね」と語った舞さん。「球磨川を恨む人はいません」2020年7月に豪雨災害に合い、そう語った私の故郷の人の言葉が重なった。海や川、山など自然と共に送っていたささやかな日常。さっきまで一緒にいた人が、さっきまで住んでた家が、さっきまで見ていた風景がほんの一瞬の出来事で変わってしまう衝撃的な経験は、簡単に語れるものではない。また、思い出さないことで、生きられることもある。けれど、あえて言葉にできないことを言葉にしたとき、自分が抱えている人生の荷物を一旦卸し、抱えなおすことで新たに荷物を抱える覚悟を持てる。そんな覚悟を持って、歩んでいる舞さんの姿は、凛々しい。舞さんが「今が幸せ」という思いを受け入れ、自分の人生を大切に生き抜いてくれることを願っている。
*カバー写真:岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」、2017年2月、花田太平撮影(写真と本文は直接関係はありません)
*本記事の転載を希望する場合は、ブログの「お問い合わせ」までご一報ください。
Comments