宇佐見りん『推し、燃ゆ』の衝撃
- Polyphonia
- 2021年2月19日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年3月11日

花田太平(麗澤大学外国語学部准教授)
2021年2月19日
■「推し」の時代?
人の生を支えるものは何だろうか。
かつて、社会学者の見田宗介は、敗戦後の日本社会の空白を埋めてきたものの変遷を、夢の時代、理想の時代、虚構の時代として描き出した。
今回芥川賞を受賞した宇佐見りんの『推し、燃ゆ』(河出書房新社、2020)は、まさに時代が「推し」、すなわち「私だけの神」によって支えられていることを生々しく描き出す。
「推し」という言葉に込められているのは、単に従来のアイドルとファンの関係性ではない。CDやグッツを買い、ファンブログを書き、そのための資金集めのアルバイト等、「推し」に捧げられた活動の総体を意味する。
主人公のあかりは、そんなふうに「推し活」に身を捧げる十六歳の少女である。高校を中退し、慣れないバイトに勤しむ主人公の日常は、「推し」を解釈し、推し活日記をファン限定のブログにアップすることで支えられている。発達障害(?)の診断を受け、自分のことをうまく説明できず、家族からも受け止められずにもがく主人公にとって、推し活動は生の源泉であり、社会とつながる唯一の回路であった。
だが、ある時、その「推し」がファンを殴ったという噂が広がり、ネットで炎上する。「推し」を失うかもしれない—日常の崩壊を目の当たりに動揺する主人公は、はじめて「普通じゃない」自分自身と向き合う。
■私だけの神
「私だけの神」という言葉はリスク社会論で有名なウルリッヒ・ベックの表現である(『〈私〉だけの神:平和と暴力のはざまにある宗教』鈴木直訳、岩波書店、2011)。ベックは、ナチ迫害下のユダヤ人女性エティ・ヒレスムの日記を読み解きながら、収容所化した世界の片隅で、「自分自身の無力な神」との親密な対話に慰めと尊厳を見出す個人に、ポスト世俗化の新たな「宗教性」の登場をみた。アウシュヴィッツで収容者を支えたのがこの「私だけの神」だったとすれば、「推し」が心の支えとしてある現代の日本社会もまた精神的な収容所と化しつつあるのだろうか。
著者は以前、インタビューで以下のように答えている。
「遅れ」を開き直るべきではない、と思います。そうした人間は容易く他人を傷付けるからです。しかし、「遅れ」た人間の淋しさを否定することは誰にもできないとも思うのです。
「遅れ」た人間の淋しさを、アイドル推しは一時的に癒すかもしれない。だが、「推し」という商品化されたアイドルは、それが「人」である限り、ときに人を殴るだろうし、ときに結婚するだろう。「人」は資本主義のルールを破る可能性をはらむ商品なだけに、最も欲望される、依存性の高い禁断の果実であると言える。
■這いつくばりながら生きる
終盤に主人公のあかりは、「推し」が住むというマンションを訪ねるのだが、そこで恋人らしき女性が洗濯物を取り込む場面に遭遇する。この「洗濯物」=推しの生活は、主人公の推し活動(大量の写真やCDやファイル)の欺瞞をあらわにする。「推し」という「背骨」を失った主人公は、自分が収容所の「動物」であることに気づくのだが、それを受け容れ、「私だけの神の死」の生還者としてのアイデンティティを立ち上げる。
骨も肉もすべてがわたしだった。・・・
這いつくばりながら、これがわたしの生きる姿勢だと思う。
二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。(124~125頁)
宇佐見りんの今後は、この最後の数行に凝縮されていると言ってもいい。
アイドルという表象を失っても生きようとする主人公は、自分の身体的な感覚を頼って生き続けるほかない。ただ、身体のもつエスニックな感覚は言語を介さなければ社会性を獲得できないのもまた事実である。そして本作に見合うレベルの批評が立ち現れなければ、このエスニックな感覚もまた自閉し、追い込まれていくだろう。かつての三島由紀夫がそうであったように。
麗澤大学アドミッション&PRセンターの阿部です。この度は大変お世話になりました。
「推し、燃ゆ」は冒頭からスッと話に入り学生時代、好きな芸能人を推していた自分とあかりちゃんを重ね、あっという間に読み終えてしまいました。読書キャンプでは更に新しい推し活を学生の皆さんより聞くことができ大変興味深かったです。どのようなことでも自分が好きだと思うことを見つけられ、それを極められるあかりちゃんを羨ましいと思う反面、学校、アルバイト先や家庭などどこか1つでも推し以外の世界にあかりちゃんを理解し肯定してくれる心の拠り所があれば報われるかもしれないのにと苦しくなりました。同時に実社会において私自身も普通という概念を捨て、人と違うことを否定せずに個性として理解し尊重していかなくてはならないと改めて感じました。
CDSの半田です。昨日はありがとうございました。
“あらゆる現代的課題を網羅した小説”というのが私の最初の印象です。作者が世の中の動きを敏感に感じ取れる人なのでしょう。スピード感のある文章なのでさらっと読めましたが引き続き、ひとつひとつ丁寧に味わって読み解いていきたいと思いました。 職業柄、あかりさんに対して、学校はもっと学びやすい環境の調整ができたのでは、仕事を探すときもジョブカフェや就労支援につながればと、ついついお節介したくなる自分がいました。裏を返せば、それだけ、理解してくれる人や支援機関につながりにくい現実が表現されています。読書会では、推しのリアルについて、お話しが聞けてただただ感心するばかりでした 笑
麗澤大学外国語学部の花田です。お陰さまで本日(3/10)無事に読書キャンプの試験回を実施することができました。教職員と学生のバランスの良い参加があり、多様な声を聞くことができました。深謝です。
「同担拒否」「公式」「夢女子/腐女子」「Vtuber」「投げ銭」「二次元」等の単語が飛び交うなかで、現代社会における宗教や家族、「解釈」と所有/共有の問題、依存や救いの問題、偶像崇拝のジレンマなど深いテーマについて対話するのは個人的にも新鮮な体験でした。
よろしければぜひ、皆さまの『推し、燃ゆ』の「解釈」をこのコメント欄にご投稿ください。